
「四つ打ち(よつうち)」と聞いて、あなたはどんな音を思い浮かべますか?
ハウスやテクノ、さらにはJ-POPでもおなじみの“ドンドンドンドン”というビート。
実はこのリズム、ボカロ曲やモーニング娘。などのアイドルソングでも多用されている定番のパターンです。
今では音楽に欠かせない存在となった四つ打ちですが、実は偶然に生まれたわけではありません。
ある一人のドラマーが意図的に作り出した、革新的なリズムテクニックだったのです。
本記事では、そんな四つ打ちリズムの誕生と、切っても切れない「ディスコ文化」との関係を、歴史的背景と音楽的な流れからわかりやすく解説します。
- 「なぜ四つ打ちは生まれたのか?」
- 「どうやって世界中に広まったのか?」
その答えがわかるころには、あなたの音楽の聴き方が少し変わっているかもしれません。
四つ打ちとはどんなリズム?
- テンポはおよそ120BPM前後
- バスドラム(キック)が1小節の4拍すべてに鳴る
- 裏拍でオープンハイハットが鳴るのが特徴
このリズムを流すだけで、独特の疾走感と高揚感を感じる“ダンスミュージックらしい”サウンドになります。
●キックを四分音符で刻む

●キック+ハイハット+スネア

四つ打ちが生まれる前の音楽
これは1950〜60年代にアメリカの名門レーベル〈モータウン〉が生み出したグルーヴで、R&Bをベースにしたシンプルなリズム構成が特徴です。
- シャッフルを効かせたリズム(例:シュープリームス「You Can’t Hurry Love」)
- スネアとハイハットが強調されたビート
- AMラジオでも映えるよう設計された音作り
この“ハートビート”と呼ばれるモータウン・ビートが、のちの四つ打ち誕生に大きな影響を与えました。
ディスコ文化の誕生
フランス語で「レコード置き場」を意味する「ディスクテーク(discothèque)」が語源で、戦時中に生演奏ができなくなった代わりに、レコードを流して踊る文化が始まりました。
このスタイルが1960年代にアメリカ・ニューヨークへ上陸し、ディスコクラブが爆発的に増加します。
1970年代にはセレブが集う高級ディスコから、個人宅のプライベートパーティーまで、全米で約2万軒ものディスコが存在していたといわれています。
ディスコはまた、当時社会的に抑圧されていたLGBTQコミュニティの交流の場としても機能し、音楽だけでなく文化の多様性を象徴する空間として広がっていきました。
モータウンからディスコサウンドへ
- アイザック・ヘイズやカーティス・メイフィールドらが活躍
- ホーンやストリングスを加えた重厚なアレンジ
- 映画音楽のような壮大なサウンド
同時期に生まれた「フィラデルフィア・ソウル(フィリーソウル)」も、メロディ重視の華やかなサウンドで人気を博し、のちのディスコシーンを牽引しました。
四つ打ちを生み出した男「アール・ヤング」
フィリーソウルのスタジオドラマーとして活動していた**アール・ヤング(Earl Young)**が、
ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツの楽曲「The Love I Lost」で、
世界で初めて四つ打ちのビートを叩いたとされています。
- テンポは120BPM前後に統一
- バスドラムを全拍に置くことでダンス性を強化
- DJがミックスしやすい構成
このリズムが「ソウルトレイン」で放送されると瞬く間に話題となり、世界中のDJやミュージシャンがこぞって真似をしました。
まさに、ここから“四つ打ち=ダンスミュージック”という黄金公式が生まれたのです。
世界へ広がる“四つ打ち”の波
日本では、テレビ番組のテーマ曲などにも採用され、ポップスにまで影響を与えました。
ヨーロッパでは、四つ打ちを軸にした「ユーロディスコ」ブームが誕生。
この流れが後にハウスやテクノといったクラブミュージックへと進化していきます。
まとめ
そのルーツをたどると、モータウンの“ハートビート”から始まり、フィリーソウルのドラマー、アール・ヤングによる革新的なアイデアによって形づくられたことがわかります。
- モータウン・ビートが四つ打ち誕生のきっかけとなった
- 1973年、アール・ヤングが「The Love I Lost」で初めて四つ打ちを演奏
- ディスコ文化の拡大とともに、世界中の音楽に浸透した
現代のボカロ曲やJ-POPにまで受け継がれている“四つ打ち”は、半世紀以上前のディスコ文化と人々の「踊りたい」という欲求から生まれた音楽的進化の証です。
この背景を知ることで、あなたが次に聴くビートの響きが、少し違って感じられるかもしれません。

