【追悼】オジー・オズボーン|波乱万丈な人生・名曲・死因・最後のライブを徹底紹介


ヘヴィメタル界の“始祖”のひとりとしてロック史に名を刻んだ伝説的アーティスト、オジー・オズボーン。
その独特な歌声と破天荒なキャラクターで世界中のファンを魅了してきました。

しかし、その華やかな成功の裏には、本人にしか分からない葛藤や悲劇も数多く存在します。

今回は“プリンス・オブ・ダークネス”とも呼ばれたオジー・オズボーンの、波乱万丈な人生を振り返っていきましょう。




貧しい少年時代と音楽との出会い

オジー・オズボーンは1948年12月3日、イングランド・バーミンガムの労働者街アストンで、ジョン・マイケル・オズボーンとして生まれました。

貧しい家庭に育ち、学校生活に馴染めず15歳で中退。工場労働などを転々とするなか、彼の支えとなったのが音楽でした。

特にビートルズの登場は、オジーにとって人生を変えるほどの衝撃。

ラジオで「She Loves You」を聴いた瞬間、「自分も音楽で生きていくんだ」と決意したそうです。

若き日の犯罪と更生、そしてブラック・サバス誕生

生活のために働きながらも夢を追うオジーでしたが、17歳のときに窃盗で逮捕され、2か月間の服役を経験します。

しかしこの挫折が転機となり、「音楽で生きていく」と再び決意。出所後、仲間を集めて音楽活動を始めます。

やがてギタリストのトニー・アイオミ、ベーシストのギーザー・バトラーらと出会い、バンドを結成。

当初は「アース」という名前でしたが、同名バンドとの混同を避け、ホラー映画のタイトルからブラック・サバスに改名します。

1970年、デビューアルバム『Black Sabbath(黒い安息日)』を発表。

重厚なリフと不吉なムードをまとったサウンドは音楽界に衝撃を与え、これがヘヴィメタルという新たなジャンルの始まりとなりました。

世界を席巻した“悪魔の音楽”と崩壊への道

『Paranoid』Iron Man』などの名曲を次々と生み出したブラック・サバスは、70年代を通してメタル界の頂点に君臨します。

しかしその裏では、メンバー全員が酒とドラッグに溺れる破滅的な生活を送っていました。

とくにオジーの薬物依存は深刻化。リハーサルを無断欠席したり、記憶がないほど荒れた時期もあったそうです。

そして1979年、ついにバンドから解雇。
栄光の頂点からどん底へと突き落とされ、彼は絶望の淵に立たされます。

シャロンとの出会いとソロ復活

そんなオジーを救ったのが、当時ブラック・サバスのマネージャーの娘であり、のちに妻となるシャロン・アーデンでした。
彼女はオジーを励まし、ソロ活動の道へと導きます。

1980年、ギタリストに天才ランディ・ローズを迎えたソロアルバム『Blizzard of Ozz』が大ヒット。
『Crazy Train』は今もなおロック史に残る名曲です。
しかし1982年、ランディが飛行機事故で急逝。オジーは深い悲しみに沈みますが、それでも音楽を続けました。

伝説の“コウモリ事件”と“悪魔の象徴”

1982年、ステージ上で観客が投げたコウモリを本物と知らずに噛みちぎるという衝撃的な事件が発生。
世界中に報じられ、オジー=悪魔のロッカーというイメージが定着します。

さらに、酩酊状態での失態や数々のトラブルが続出。
それでも彼のカリスマ性は衰えず、まさに“狂気と天才”を象徴する存在となっていきました。

家族、リハビリ、そして再生

1989年、泥酔状態で妻シャロンに暴力を振るう事件を起こして逮捕。
しかしその後、彼はリハビリに専念し、1991年の『No More Tears』で完全復活。
『I Don’t Want to Change the World』ではグラミー賞を受賞しました。

オズフェストと新世代への影響

1996年、シャロンと共にメタルフェス「Ozzfest」を立ち上げ、スリップノットやリンキン・パークなど、後に世界的バンドとなる若手を発掘しました。
メタル文化の火を次の世代へつなげたのです。

家族との絆とリアリティ番組『オズボーンズ』

2002年には、リアリティ番組『The Osbournes』が放送開始。
オズボーン一家のハチャメチャな日常が話題を呼び、MTV史上最高視聴率を記録しました。
“悪魔の帝王”だったオジーが、“愛されるダメ親父”として親しまれるようになった瞬間でした。

晩年と“最後のステージ”

事故や病気を経て体調を崩す中でも、オジーは音楽への情熱を失いませんでした。
『Ordinary Man』『Patient Number 9』などのアルバムで再びグラミー賞を受賞し、70代にしてその存在感を示しました。

そして2025年7月5日、故郷バーミンガムで開催された「To The Beginning」が最後のライブに。
世界中の仲間たちが集い、彼のキャリアを祝福しました。

そのわずか数週間後の7月22日、オジー・オズボーンは76歳でこの世を去ります。
最後は家族に囲まれ、愛に包まれての最期だったと伝えられました。

永遠の“プリンス・オブ・ダークネス”へ

破天荒で、時に狂気的で、そして誰よりも情熱的。
オジー・オズボーンの生き様は、まさにロックンロールそのもの。
何度倒れても立ち上がり、挑戦し続けた彼の姿は、これからも世界中の音楽ファンに勇気を与え続けるでしょう。

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