【黒夢・結成30年】清春と人時の出会い・活動停止・解散・再結成までを徹底解説


今回は、2025年の「LUNATIC FEST.」出演も決まった黒夢(くろゆめ)の歴史を振り返ります。

1990年代、ヴィジュアル系ブームの真っただ中に突如現れ、圧倒的な存在感でシーンを塗り替えた伝説のバンド——黒夢。

2025年、結成30周年を迎え、LUNA SEA主催「LUNATIC FEST.」への出演も決定。

再び注目が集まる彼らの歩みを、今こそ振り返る時です。

本記事では、黒夢がどのようにして誕生し、どんな音楽で時代を変え、そしてなぜ一度活動を止めたのか。

波乱に満ちた30年の軌跡をわかりやすくまとめています。

清春・人時の関係性や、再結成に至るまでの裏話も紹介。

90年代ロックシーンをリアルタイムで体験した世代はもちろん、後から黒夢を知った若い音楽ファンにも、ぜひ読んでほしい内容です。




黒夢結成までの道のり


1986年、清春(ひよはる)は「DOUBLE BED」というバンドで音楽活動をスタート。

一方で人時(ひとき)は「狂犬病」というバンドを結成し、当初はドラムを担当していました。

その後、清春は「SUS-4(サス)」を結成。

この時、ローディを務めていたのが後の黒夢メンバー・人時でした。

SUS-4は解散後、清春と人時は「GARNET(ガーネット)」を結成。

シーケンサーによる打ち込み要素も取り入れた無機質で激しいサウンドを特徴としていましたが、清春はよりハードな音楽性を求めていました。

名古屋ミュージックファームでの対バンをきっかけに、清春はGERACEのギタリスト・臣(シン)と出会います。

「僕がギターを弾いて、君が歌えば日本一も夢じゃない。早くバンドを解散しろ」

臣のこの言葉に清春は決意を固め、GARNETを解散。

そして1991年、清春と臣を中心に「黒夢」が結成されます。

GARNETからの流れで、人時も正式メンバーとして加入しました。

名古屋発インディーズ時代


バンド名「黒夢」には「夢や神といったものは存在しない」という意味が込められており、当時流行していたアルファベット表記を避け、あえて漢字を選択しました。

初ライブは名古屋・エンゼルパークで開催。

続く名古屋ミュージックファームでのライブでは、デモテープ「生きていた中絶児」などを限定販売します。

その後、ドラムの鋭葵が脱退し、サポートドラマーを迎えながら活動を継続。

ファーストアルバム『亡骸を・・・』をリリースし、インディーズチャートで2か月連続1位を獲得しました。

メジャーデビューとブレイク

元THE STAR CLUBのヒロが加入しますが、わずか3か月で脱退。

以降は松山寛がサポートを務めます。

YOSHIKI主催のエクスタシーレコードからの誘いもありましたが、最終的に東芝EMIからのオファーを受け、シングル『for dear』でメジャーデビュー。

続くアルバム『feminism』の制作では、ドラマーにサポートとしてそうる透が参加。

しかし、録音中にギタリストの臣が失踪し、脱退となります。以降は2人体制で活動を続けました。

この頃から、黒夢は「ユニット」と呼ばれることもありましたが、清春は「俺たちはあくまでバンドだ」と主張しています。

1995年、アルバム『feminism』がオリコン初登場1位を記録。

同年リリースのシングル『BEAMS』がマクセルのCM曲に起用され、黒夢の知名度を一気に押し上げました。

黒夢の頂点と活動停止

その後、『Like@Angel』『少年』などヒット曲を次々と発表。

特に『少年』は黒夢最大のヒット曲となり、パンク路線に変更したこともあり男性ファン層の支持も拡大します。

1997〜98年にかけて約230本のライブを敢行。

しかし、ハードなスケジュールの中で、人時は「家庭を優先したい」と清春に伝え、次第に2人の間にすれ違いが生まれます。

人時のメディア出演キャンセルなども重なり、関係は悪化。楽屋も別々になるほどでした。

最終的に人時が脱退の意思を示し、清春はツアー終了後に「無期限活動停止」を発表。

1999年1月29日、日本武道館での「CORKSCREW TOUR FINAL」をもって黒夢は活動を停止します。

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再結成、そして伝説へ

活動停止後、清春は新バンド「SADS」を結成し、ソロ活動へ。

10年後の2009年、人時から「もう一度やらないか」と連絡があり、清春は当初難色を示したものの、“けじめをつけるため”の一夜限りの解散ライブを日本武道館で開催。これが正式な「解散」となりました。

しかし、翌年2010年、清春のブログで黒夢の再結成が発表されます。

きっかけは、黒夢時代に深く関わった音楽プロデューサー・東條雅人氏の死でした。

清春は「彼のためにもう一度ステージに立とう」と決意し、再び人時に声をかけたのです。

再始動と現在

2010年1月29日、新宿ステーションスクエアでシークレットライブを開催。

1曲目『少年』の演奏中に警察から中止要請が入り、わずか1分でライブは終了するという伝説的な幕開けとなりました。

その後、約12年半ぶりの新曲『ミザリー』をリリース。

復活ライブ「F〇〇K the fake STAR」を代々木第一体育館で開催し、黒夢の完全復活を印象づけました。

2014年には最後のロングツアーと銘打った「BEFORE THE NEXT SLEEP」を開催。

coldrain(コールドレイン)のKatsumaらがサポートドラマーを務め、ツアー終了後、黒夢は再び休止に入ります。

そして2025年——


2024年、清春は黒夢としてのメジャーデビュー30周年を迎え、『水曜日のダウンタウン』など数多くのテレビ番組にも出演。

チャリティ活動や被災地支援にも積極的に参加し、アーティストとしての幅を広げています。

30周年記念ツアーの最終日には、約10年ぶりに黒夢としてのライブを東京ガーデンシアターで開催。

全国ツアーを経て2025年11月9日、黒夢はLUNATIC FEST.に出演予定。

2026年には黒夢の追加公演も決定。

再び、伝説が動き出そうとしています。

今後の活動が楽しみです。

筆者のひとりごと

LUNATIC FEST.は2日間にわたって開催されます。

黒夢は2日目の出演予定なんですが、正直、できれば1日目に出てほしかったんですよね。

というのも、1日目には BRAHMAN と DIR EN GREY が出るんです。

BRAHMANのボーカル・TOSHI-LOWと清春は交流があり、ユニット「俊春」を組んでいたこともあります。

さらにDIR EN GREYのボーカル・京は、デビュー前に黒夢のローディー(お世話係)をしていたという有名なエピソードも。

当時の京は、ビジュアル系時代の清春に影響を受けたメイクや衣装をしていたほどです。

ステージ上での共演はなくても、同じ日に見たかったなと思います。

まとめ


 黒夢 結成から30年

いろんな時代を乗り越えて、黒夢は今もちゃんと“現在進行形”のバンドです。

どんなに止まっても、また動き出す。

清春と人時、この2人がいる限り、黒夢は終わらない。

2025年のLUNAフェスで、どんなステージを見せてくれるのか。

昔からのファンも、最近気になり始めた人も、今こそ“黒夢”という名前をもう一度焼き付けるタイミングかもしれません。

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