AIと作曲家の境界線|音楽制作の未来と人間が担う“創造”の意味

今日は少し哲学的なテーマをお話ししたいと思います。

それは「作曲家とAIの想像(創造)の境界線」について。

ちょっと難しそうに聞こえるかもしれませんが、最後まで読めば「なるほど」と思ってもらえるはずです。




AIが変える“音楽のつくり方”

ここ数年、AIの進化は本当に目覚ましいですよね。

今では数秒でオリジナル曲を生成できて、ジャンルも自由に選べます。

しかもBGMなど商業用途でもどんどん使われ始めています。

「便利・早い・安い」

この3つの要素が揃っているので、企業や制作者がAI作曲を導入するのは自然な流れです。

でも、その一方で──

多くの作曲家が「何か違う」と違和感を抱き始めているのも事実です。

“人間の作曲”にあるもの

そもそも人間の作曲というのは、感情・経験・意図を音に変換する行為です。

喜びや悲しみ、時には苦しみさえも旋律の中に込めて表現します。

音楽には「作る工程」にこそ意味がある。

メロディを考え、コードを選び、試行錯誤しながら形にしていく。

そのプロセスこそが“人間の創造”であり、“喜び”なんですよね。

また、既存の音楽にはストーリーやメッセージが込められています。

失恋した時、恋に落ちた時──

私たちはその体験を音楽に変えて表現できます。

ボーカリストの息遣いや強弱の揺らぎ。

激しい怒りや深い悲しみ、そして希望。

そうした“人間の感情そのもの”が音に刻まれているのです。

芸術とは「感情の記録」

音楽の歴史をたどると、中世ヨーロッパでは音楽は娯楽でした。

しかし、時代が進むにつれて、音楽は“表現”へと変化していきます。

ロマン派の作曲家・ベートーヴェンはその象徴です。

彼は愛や苦悩、喜びといった感情をすべて音楽に注ぎ込みました。

絵画の世界でも同じです。

ムンクは自身の精神を絵で描き、ピカソは『ゲルニカ』で戦争の悲劇を表現しました。

芸術とは、個人の経験と心のエネルギーを形にするものなんです。

AIと人間の“想像の違い”

AIの強みは「膨大な情報処理」と「スピード」です。

効率よく響くメロディやコードを導き出せます。

しかし、それは“正解を生み出す力”であって、“問いを立てる力”ではありません。

人間の芸術は常に「なぜ」から始まります。

なぜこの音楽を作るのか。
なぜこのメロディにしたのか。

AIがこの“なぜ”を理解しない限り、本当の意味での“創造”には届かないのかもしれません。

AIは敵ではなく“共作者”

私はAIを敵とは思っていません。

むしろ、共に作品を作るパートナーだと思っています。

AIが生み出す予測不能な音や構造を、人間が感性で選び取り、物語を与える。

それこそが新しい作曲の形になるはずです。

AIが音を生み、人間が意味を与える。

この協働こそが、次の時代の“創造”なのかもしれません。

音楽と料理の関係

音楽を料理に例えると分かりやすいです。

AI作曲は「ファストフード」のようなもの。

マクドナルドや吉野家のように、安くて、早くて、美味しい。
気軽に楽しめる便利さがあります。

でも、たまには「手間暇かけた高級料理」も食べたくなりますよね。

素材や調理法にこだわった料理には、それだけの価値がある。

AI音楽と人間の音楽も同じです。

どちらも必要で、どちらにも魅力がある。

共存こそが未来だと思います。

音楽は常に変化している

音楽は、時代とともに姿を変えてきました。

かつては神に捧げるための音楽、教会や宮廷で演奏される儀式のための音楽。
貴族だけが楽しめる“特権的な娯楽”として存在していた時代もあります。

一方で、時代によっては大衆向けの音楽が“低俗”とされ、受け入れられなかったこともありました。

そのたびに「これは音楽ではない」と批判する声が上がってきたのです。

現代のAI音楽に対しても、同じように批判的な意見があるのは自然なことかもしれません。

しかし考えてみれば、

パソコンで作曲できるようになったときも、打ち込みで完結するDTMが登場したときも、エレキギターやシンセサイザー、そして初音ミクのような歌声合成ソフトが登場したときも、当時は「そんなの音楽じゃない!」という反発がありました。

それでも、今ではそれらが音楽文化の中心にあります。

AI音楽も、きっと同じような道を辿っているだけなのかもしれません。

現在は、SOLAのようにAIが1曲まるごと生成するだけでなく、AIを活用したMIXやマスタリング、そしてSynthesizer Vのように自然な歌声を作るツールまで登場しています。

筆者自身はAI作曲を使うことはあまりありませんが、ボーカルMIX、マスタリング、Synthesizer Vは日常的に使っています。

偏見はなく、便利だから使う。それだけです。

もちろん、プロのMIXエンジニアや仮歌シンガーの仕事が減っている現実もあります。

けれど、どの時代にも技術革新によって変化と淘汰はありました。

大切なのは“流れを恐れず、トレンドを肌で感じ続けること”だと思います。

ちなみに、筆者が本当に怖いと感じるのはAIではありません。若くして突出した才能を持つ人間です。

たとえばボカロPのKanariaさん柊マグネタイトさん原口沙輔さん

彼らは20代という若さで圧倒的な再生数を叩き出し、その発想力と感性はまさに“天才”という言葉がふさわしい。

「何を食べて、どんな人生を送れば、あんな音楽が生まれるのか」

そう思わずにはいられません。

音楽の進化とAIのこれから

音楽は、ジャンルだけでなく「形態」でも大きく進化してきました。

生演奏 → レコード → カセットテープ → CD → MD → ネット配信

このように時代ごとに形を変えてきましたが、そのたびに「新しいものを受け入れられない人」も一定数いたはずです。

たとえば、

  • レコードが登場したときは「やっぱり生演奏が一番。レコードなんて邪道だ」。
  • CDが普及したときは「アナログの温かみが良いんだよ。CDは味気ない」。
  • ネット配信が広がったときは「配信は音圧が低い。音楽を聴くならCDが一番!」

そんな声があったことを覚えている方も多いでしょう。

実際、それぞれにメリット・デメリットがあり、「どれが一番良いか」を決めるのは難しいものです。

そして、衰退する媒体もある一方で、「新しい=正しい」とも限りません。

生演奏(コンサート)のように、今も変わらず価値を持つものがありますし、レコードやカセットの“アナログ感”を好む若者も増えています。

「古い=悪い、終わった」とは限らないんですよね。

ラジオも同じです。

テレビが普及しても消えることなく、今では“ネットラジオ”として再注目されています。

こうした時代の移り変わりを振り返ると、AIとの向き合い方のヒントが見えてくるかもしれません。

才能ある若者こそ、AIよりも怖い?

ちなみに、私が本当にすごいと思うのはAIよりも“人間の才能”です。

たとえば平成のJ-POPシーンでは、小室哲哉さんやつんく♂さんが音楽界を席巻していました。

しかし、その中でわずか16歳の宇多田ヒカルさんが登場。デビュー曲「First Love」は発売からわずか1ヶ月で累計500万枚を突破しました。

しかも全曲の作詞・作曲を本人が手がけていたのです。

彼女の登場は、日本の音楽シーンを根本から変えたといっても過言ではありません。

最近で言えば、Adoさんやtuki.さんなども同じように時代を動かす存在です。

10代にしてネットを武器に頭角を現し、顔を出さずに音楽活動とプライベートを両立させています。

一昔前なら「事務所に所属し、プロデューサーがいてこそアーティスト」という常識がありましたが、彼女たちはその常識を軽やかに超えていきました。

まとめ

最後にAIが音楽を作る時代、私たちは改めて問われています。

音楽とは何か?
想像とは誰のものなのか?

AIが作るものは“音楽”かもしれません。

でも、心を動かす作品を生み出せるのは、やはり“人間の意思”なんじゃないでしょうか。

最終的にそれを使いこなすのは“人間”です。

どんな時代になっても、「新しい技術をどう活かすか」を決めるのは私たち自身。

AIに怯えるより、自分の感性と創造力をどう磨くか――
それこそが、これからの時代に必要なことではないでしょうか。

SynthesizerV2・重音テト 発売決定!!

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